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はれ,黒川先生を偲ぶ

黒川ゼミの同級生から電話があったのは2/3の朝方で,
僕は眠い目をこすりながら真っ先に
「まずいな,何かあったのか」と思った。

僕はゼミも異なるため,
それほど生前親しくしていたわけではないのだが,
論文の副指導教官であり,
いくつか授業を履修していたので勝手に好意を持っていた。

最近体調を崩されたということで,
僕は担当していたイベントが一段落したら,
自宅にお見舞いへ行くつもりだったのだが,
その矢先に訃報を聞くことになってしまった。


飄々とした話し方で,
しかし簡潔にポイントを押さえた授業は受けていてとても楽しかった。
ヨーロッパのサッカーと中村俊輔選手が好きで,
たまに3時間の講義のうち2時間くらい
サッカー談義になってしまうときにはびっくりしたけど,
そのサッカー観に関しても理路整然としていて
聞き飽きることはなかった。

残念ながら,そんな黒川先生の授業を聞いたり,
論文の表紙にサインをもらうことも,
二度とできなくなってしまった。


結局のところ僕はすべての予定をキャンセルして,
土曜日のお通夜と今日の告別式に参列してきた。

僕はせめてもの手伝いにボランティアで会場案内などをおこない,
そこで多くの方からいろいろなエピソードを聞くことができた。

にんじんがキライで,絶対に食べなかったこと。

サッカーが好きな割には,学生の頃には野球部だったこと。

声が出ないにもかかわらず,
ゼミ生が受けた論文の口述試験はskypeで自宅から参加していたこと。

酸素マスクをつけながらアジアカップで日本代表を応援していたこと。


今日の告別式の最後に,
奥さんのスピーチが黒川先生の生き方を表現していた。

黒川先生の人生は「精神の自由と充実を追い求め」ることを
心のよりどころにしていたと。

そのために車椅子で行政に出向いたり,
学生と話すことは何よりも楽しいことだったと語っていたそうだ。


…このような生き方を強いと言わずして,何を強いと言うのだろう?
果たして僕にもそんな生き方ができるのか,残念ながら全く自信がない。


そして黒川先生に最後の挨拶をしたときに,
背番号10のセルティックのユニフォームと
その上にあった満足げな黒川先生の寝顔をみて,
僕はずっと唇をかみしめながら声を出さずに泣くことしかできなかった。



黒川和美先生のご冥福を心よりお祈りいたします。
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